【タイトル】
校歌【本文】
校歌の由来(130周年記念誌より) 本校の校歌が制定されたのは、昭和十一年です。 本校では昭和七年に校舎増築が行われました。この年に保護者会も発足しました。その保護者会の役員会で、『第二小学校は、古くからの伝統ある学校なのに、校歌がないのはおかしい』という話が出ました。そして、校歌を作ろうという機運が高まりました。何人かの方にお願いしましたが、「校歌というのは、永く歌い続けられるものなので作るのが難しい。」と辞退が相次ぎました。いろいろ相談の結果、関前に住んでいる児童文学者の樫葉勇先生に相談することになりました。そこで、当時、保護者会の役員だった武井鉄寿さんが一任されました。そして、当時の第二小学校の高橋万蔵校長先生と五十嵐三郎先生と一緒に樫葉勇先生のお宅を訪ねてお願いをしました。樫葉勇先生は、「私は、歌(詩)は作っていないので、知人に相談してみましょう。」とおっしゃって、当時ご親交のあった浜田広介先生をご紹介くださいました。浜田広介先生が快くお引き受けくださって、みんな大喜びでした。作曲も、浜田広介先生が頼んでくださって、平岡均之先生になりました。 浜田広介先生は、第二小学校の校歌を作るために、境へ足を運ばれて、玉川上水や第二小学校の近辺の畑などを歩かれたそうです。 校歌の発表会は、校庭に紅白幕を張り、大勢のお客様や父母の見守る中で、五・六年生が代表で発表しました。 以上の経緯は、○○○○○在住の武井富美子(武井鉄寿さんの長女)さんが手紙で知らせてくださいました。その当時、小学校五年生だった武井富美子さんは、樫葉勇先生のお宅に道案内をしたので、当時のことを特に鮮明に覚えているそうです。 校歌のMIDIデータ(3.69KB)【添付ファイル】
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