校長挨拶
ようこそ 第二小学校へ 校長 松原 修
武蔵野市立第二小学校のホームページにアクセスしていただきまして、ありがとうございます。
令和4年度、開校149年目を迎えた本校は、93名の新1年生を迎え、全校児童454名、14学級のスタートとなりました。新型コロナウイルス感染症の影響はしばらく続きますが、教職員一同 "子どもたちの「笑顔」と「夢」があふれる学校" を実現できるよう努力してまいります。
昨年度は、感染症対策を徹底しながら、これまでとは違う形で学芸会を実施いたしました。宿泊学習も、例年よりは短くなってしまいましたが、6年生の日光移動教室、5年生の利賀村セカンドスクールを実施することができました。今後も子どもたちの学びを止めることがないよう、「できる」「できない」の二者択一ではなく、子どもたちのためにどこまでできるのか、どうすればできるようになるのかを、保護者の皆様と一緒に考えてまいります。
ご理解、ご協力をいただかなければならない場面が多々あると思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、昨年度、2年生が1年生に学校を紹介するために、校長室と私の絵を描いてくれました。本人の了解がもらえましたので、しばらくはこの絵を私の写真がわりに掲載させてもらいます。(令和4年4月21日)
ようこそ 第二小学校へ 校長 松原 修
武蔵野市立第二小学校のホームページにアクセスしていただきまして、ありがとうございます。私は、令和3年4月1日に着任いたしました、校長の松原修です。よろしくお願いいたします。
着任をしてすぐ、教職員一人一人から学校の様子を聞きました。そのときに感じたことは、教職員がとてもチームワークがよく、やる気にあふれていること、そして、本校が、保護者や地域の皆様に大変あたたかく支えていただいているということです。
令和3年度も引き続き、本校の教育活動にご理解ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
余談ですが、写真を撮るときに、ホームページ担当の教員から「校長先生、マスクは外した方がいいですよ。」と言われました。そのとおりなのですが、当分の間は、子どもたちはもちろん、保護者や地域の皆様にお目にかかるときも、私はマスクをした状態だと思います。そこで、新型コロナウイルス感染症が落ち着くまでは、マスクをしたままの写真にしておきたいと思います。一日も早く、マスクを外した写真に差し替えたいです。(令和3年4月2日)
【開校140年の歩み】~現在の校舎に移るまで~ | |
明治 6年 | 8月19日、栄見山観音院の一室に、寺子屋式の「栄境学舎」が創立される。 『学舎の開設は、名主の清本仲右衛門の尽力と境村民の協力によるものであった。』※ |
明治 8年 | 「栄境学舎」は、杵築神社境内に移転し、「境学校」と改名。 |
明治18年 | 杵築大社の境内に建った30坪の新校舎に移転し、「隆明小学校」と改名。 |
明治24年 | 初代校長、窪田半三郎氏着任。 |
明治26年 | 「隆明尋常小学校」と改名。 |
明治43年 | 現在の武蔵野市境・水吐に校舎新築(150坪)移転。 |
明治44年 | 東京府武蔵野村立武蔵野第二尋常小学校と改名。4月15日を開校記念日と定める。 |
大正15年 | 第1回校舎増築(84坪) |
昭和 6年 | 東京府武蔵野町立第二尋常小学校と改名。 |
昭和 7年 | 第2回校舎増築。 |
昭和11年 | 校歌制定(浜田広介作詞・平岡均之作曲)。第3回校舎増築。 |
昭和16年 | 東京府北多摩郡武蔵野第二国民学校と改名。 |
昭和22年 |
東京都北多摩郡武蔵野町立第二小学校と改名。 |
昭和36年 | 東京都武蔵野市立第二小学校と改名。 |
昭和43年 | 新校舎(現在の校舎)へ移転。 |
昭和55年 | 開校70周年(武蔵野第二尋常小学校開校以来)記念式典挙行。 開校107周年(栄境学舎開設以来)以後、栄境学舎開設を開校として統一する。 |
※武蔵野市教育史より引用 |
第二小学校は、栄境学舎開設以来、校地や校名を幾度もかえながら現在に至っています。明治5年の学制公布により、武蔵野市域4か村には、研瑳学舎(一小の前身)、栄境学舎(二小の前身)、三省学舎の3つの学舎が設立され、その後、学舎から学校となり、明治44年には、3校から2校に整理され、武蔵野第一尋常小学校と武蔵野第二尋常小学校として、新しい校舎での教育活動が始まります。
武蔵野村の発展とともに教育も充実していきますが、学舎開設当時は、学校維持のための村民の努力は並大抵のものではなかったことが、記録に残されています。例えば、明治7年の学舎収支決算によると、収入における村民負担は、約70パーセントで、これに月謝約20パーセントの保護者負担を合わせると約90パーセントは村民の負担となっています。この村民の直接負担を軽減するために、杵築神社の境内の松や杉を伐採して得た代金を「栄境学舎永続備金」として積み、その利子で約12パーセントを補っていると記されています。『由緒ある神社の森の伐採は、住民や氏子にとって苦しい選択であったにちがいないが、学校を設立したい意欲と財政難の間に立った住民の緊急の対応策であった。』(武蔵野市教育史)というように、新しい時代の教育にかける期待と願いに基づいた村民の身を切るような協力の姿がここにあります。(上記※印も、武蔵野市教育史より引用)
村の学校、地域の学校として発祥し、発展し続けてきた二小の歴史を振り返る時、今も変わらぬ愛着と誇りをもって学校とかかわり、支え続けてくださっている地域の皆様の思いは、遠い昔から脈々と受け継がれてきたものであると実感するとともに、心が揺さぶられるような感動を覚えます。
子どもたちには、学年に応じて学校の歴史を理解させたいと思います。そして、みんなから愛されてきた学校に学ぶ喜びを味わわせたいと思います。
更新日:2022年07月01日 13:42:21