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【校長日記】 二小桜とお別れの会

 7月20日、終業式のあと、5・6年生の子どもたちと、二小桜のお別れ会を行いました。そのときに、私が話したことを掲載します。

   お別れ会では6年生の代表が挨拶

 

 今から149年前、観音院の一室に「栄境学舎」として開校したこの第二小学校は、その後、杵築大社に移転し、明治43年から昭和43年までの約60年間、今の市民会館の場所に校舎がありました。このときの二小の門の横にあったのが、この桜の木、二小桜です。当時の二小の子どもたちにとって思い出に残る桜の木でした。春には美しい桜の花を咲かせ、元気に登校する子どもたちを迎えていました。休み時間には、木のそばで馬跳びをしたり、放課後には木の下で待ち合わせをして、遊びに行ったりしたそうです。

 

 今の場所に二小が移転したのは昭和43年3月15日です。残念ながら、桜の木は、市民会館の北側の駐車場に残ったままでした。当時の校長先生や卒業生、地域の方々の働きかけと武蔵野市のおかげで、今から20年前、二小が移転してから35年遅れて、桜の木が、この場所に移植されました。

   移植前の桜の木(2001/11/24)

 

 桜を移植するというのは簡単なことではないと思います。移植のために、1年間養生して準備をしたそうです。桜の木の移植は、残されている写真の日付を見ると、2月13日と14日の2日間かけて行われたようです。まず、直径2.5メートルほどの大きな穴を掘り、土の準備をしました。桜の木は、トラックに乗せて運ばれました。移植のために枝を短く切ってありましたが、それでも枝が対向車線にはみ出るほど大きかったそうです。クレーン車で吊り上げてこの場所に植えたそうです。

   掘り起こされた桜の木(2002/2/13)

   クレーンで降ろされた桜の木(2002/2/14)

   移植された桜の木(2002/2/14)

  全校児童で桜を迎えました(2002/2/18)


 そんな桜の木を切ってしまうというのは大きな決断です。当時の校長先生方も、お別れに来るそうです。でも、終業式でもお話ししたように、この二小桜の両側に、若い2本の桜の木がしっかり育っています。
 残念ながら市民会館から移植されてきた桜の木は枯れてしまいましたが、桜の命は、しっかり引き継がれました。これからも、この2本の桜が私たちを見守ってくれます。


 みなさんは、二小の卒業生11,732人と、在校生454人の代表として、短い時間ですが、二小桜に感謝とお別れをしてください。そして、今日の桜の木の姿を忘れないで欲しいと思います。

 

公開日:2022年07月31日 08:00:00
更新日:2022年07月31日 10:23:19